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親日国の日本離れ
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◎グロス・孝夫 Hato Hate (20) 親日国の日本離れ
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台湾に次いでの親日国と言えばインドネシアであろう。戦前、アジア地域の中で日本軍が占領した国にも拘わらず親日度が高いのは、
結果的にオランダから植民地を解放した事と、戦後1,000人以上と言われる日本軍兵士がインドネシアに居残って、舞い戻って来たオ
ランダとの独立戦争に命をかけて共に戦った事からである。その旧日本軍兵士達は独立後、インドネシアに帰化して様々な形で日本と
インドネシア両国間の橋渡しの役目を果たし、その多くは国立英雄墓地に埋葬されている。

1965年の共産党解体政変劇での主役であるスハルト将軍はスカルノに次いで第二代大統領となるが、その後そのスハルト政権で大統領
補佐官として日本政府、日本企業とのパイプ役を務めたのが M将軍と H将軍だ。この二人の将軍はスハルト大統領の片腕として共に独
立戦争を戦った関係から、旧日本軍兵士達との交流もあってすこぶる親日的であり、スハルト体制になってからは日本よりの経済援助
や貿易と投資が飛躍的に増大していった。

実は私は1974年11末の寒い日に、このH大統領補佐官氏をある非公式会合招待の為に帝国ホテルに迎えにいった事がある。H将軍はちょ
うどカダフィ大佐を小柄にした様な精悍な風貌で、迎えの車に乗るや何か思いつめた様にしばし押し黙っていたのであるが、車が首相
官邸近くになると、突然「Mr.Tanaka resigns.」と、ドスの利いた声で口を開き、その後に深いため息をもらしたのだ。まさに田中首
相が総辞職を表明したその日であったのであるが、このH将軍の胸中は複雑なものであったのだろう。

かって渋谷区の住宅街の一角に日本政府が賠償金で建てた立派な設備のインドネシア留学生会館と寮があったが、その時代には多くの
インドネシア人留学生が日本の大学で学び、帰国後は国のエリートとして官僚や政治家、学者、企業経営者となっていた。しかしなが
ら、田中政権時代の1974年に田中首相のインドネシア訪問直前に首都ジャカルタで大規模な反日デモが起こり、そのあたりからは流れ
が少し変わって、日本ではその後の田中角栄氏辞任、ロッキードスキャンダルでの逮捕へとつながっていくのである。

田中角栄氏についてはその政治的実行力と金権体質の二面から政治家としての評価が分かれるところではある。同氏の失脚は第一次オ
イルショックを契機に同氏が「日本独自の資源外交を積極的に推し進めたところから米国という虎の尾を踏んでしまった」事がこの一
連の動きの背景と見るのが今や常識であろう。ジャカルタの反日デモと暴動はあきらかに組織されたものであり、その裏側には軍部内
でCIAとつながる事で急激に台頭していたとされる親米派の S将軍と、親日のM/H両補佐官との間での権力闘争であったとも言われてい
る。結果的には S将軍が失脚する形となったが、日本での田中角栄氏の失脚後はインドネシアの親米度は一気に増して、その後インド
ネシア人学生の留学先は日本よりも米国一辺倒となっていくのである。

ところがこの長年続いたインドネシアの親米度も2001年のニューヨークのテロ事件後、米国政府のイスラム教徒留学生への渡航滞在制
限が厳しくなり、多くのインドネシア留学生が帰国を余儀なくされるに至り一転する。それに目を付けた中国がアジア地域での覇権と
資源獲得の戦略もあって、1965年の共産党解体政変劇で外交関係が必ずしも良好とは言えなかったこのインドネシアに近年積極的に接
近しているのである。私の知人で40年近くインドネシアの政財界に精通してきている古宮氏が最近ある雑誌に中国のインドネシア急接
近ぶりを書いている。同氏によれば、中国は 05年以降、中国研究センターを設立、8,000校に中国語コースを設立して、大勢の中国語
教師を派遣する事で、ソフトパワーの浸透はじわじわ効いているらしい。

こうして見ると、台湾の親日日本語世代とインドネシア政権内の親日派は時代とともに消え行く運命にあって、そこに変わるものは一
時的に米国であっても、アジアでの国際政治の急激な変化で、地政学的、資源外交的戦略に長ける中国の存在がますます増大して行っ
ているのが対照的である。ところで中国のもう一つの狙いは、インドネシア地図を見てみると明白である。台湾海峡、マラッカ海峡、
それにロンボク海峡、この三つは日本経済の生命線である。マラッカ海峡の反対側にはいざとなれば中国の代理店を勤める華人国家シ
ンガポールがある。1965年の政変の際に多数の中国系インドネシア人と共産党員が軍部に虐殺されたにも拘わらず、そんな「歴史認識
問題」は棚に置いての見事な中国の覇権国家戦略である。

鳩山政権の東アジア共同体構想なるものが、いかに政治的に稚拙で裏では中国にあざ笑われているものであるのかは、このインドネシ
アの持つ戦略的重要性に対する中国の急速な動きを見れば明らかである。

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